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2025/12/15

パーキンソン病と向き合う。母の車椅子生活に娘として。その1

12月2日のブログ

「今年の11月は(近年の私にとっては)大きな出来事を経験した月となりました。」

において書き記した 「年老いた両親との20年ぶりの再会」について、本日から数回に分け

てブログに書いていきたいと思います。

私は、仕事や経済的関係、コロナの関係やペットを飼っていること、

「元気だ」という両親の話を真に受けて、20年もの長い間帰郷せずにいました。

毎年、来年あたりは帰れるかもと考えながらも、交通事情の悪い都下の町に引越しして

からは飛行機を使わないと帰郷できないような遠方に出かけることは

億劫になっていたことも事実です。

しかし、数年前から「血圧が高い」「足がどうも・・」「病院でパーキンソン病と

言われた」などと母から電話で告げられるたびに両親のことが次第に心に重く残るように

なりました。

パーキンソン病

2年前の春、父からの電話で母が病院に入院したと知り、その年の夏には

「母は歩くことができなくなり、家の中でも這う様にしてトイレに行ったりしている」

との話があったかと思ったら、その数日後には特別養護老人ホームに入所したことを知り

病気の進行の早さに戸惑うばかりでした。

見舞いにいきたいと父に母の状況を聞いてみましたが、「大丈夫だ!」と逆に私のことを

心配するばかりで、今年の11月まで見舞いに行けていなかったのです。

「このままでは認知症が進んで誰が誰かわからなくなるかもしれない」という父からの手紙

を受け取ったのは今年の10月最終週のことでした。

秋の夕暮れに父からの手紙を受け取ったのです。


その頃にはワイアーフォックスも年老いてはいましたが、犬を病院に預けるよりは家族のそばに

いる方が安心ではないかとまた、母が認知症まで患っているのであれば、この先寒い季節に

なると病状がさらに悪化すると「これは時間がない」と高齢夫婦二人と犬二頭とで車で母の

ところへ行く計画を決行したのです。

花が好きで学校などにも庭の花を持たせてくれました。



20年ぶりに再会した母は、以前の活発な姿とは大きく変わっていました。

足が動かなくなり車椅子での生活となり、静かに特養の部屋で私を迎えてくれました。

少しぼんやりしている様な感じはありますが、表情も感じられ、言葉はしっかりしており

少し安心しました。手や足をマッサージすると、足は感じないけど手は感じると。。

家族との連絡ノートを見せてもらうと1年ほど前からは鉛筆も握れないのか、文字が

だんだんばらけたり、斜めになったり、文章が途中で止まったりと。。。

現在では字を書くことはできないと父が話していました。

正直に言って、母の姿を見ると、どう接していいのか分からず、戸惑うばかりでした。

体の不自由さだけでなく、表情の変化、声の小ささ……。病気が進行する中で、

母が何を考え、何に苦しんでいるのか。理解しようとすればするほど、

自分自身の知識の少なさにぶつかります。

「なぜ、もっと早くこの病気について学んでこなかったのだろう?」

そんな後悔と、「これから母を支えるために、私はこの病気について正しく知らなければ

ならない」という強い思いを持つ様になりました。

かつて92歳の父が一人で担っていた介護、そして特養入所という大きな決断。

そして今、遠巻きに見るだけだったパーキンソン病の現実。

同じようにご家族の病気に戸惑い、情報や心の支えを探している方がいらっしゃるなら、

この病気についていろいろと共有していければありがたいです。

帰路高齢夫婦と高齢犬2頭で見た虹




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